記憶の記録

旅の記憶を記録しています。

1.沖縄流オープンカフェ(沖縄・那覇)

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栄町市場にある「モラカフェ」

 2019年1月、冬の那覇空港へ降り立った。10年ぶりの沖縄、滑走路からターミナルへと向かう途中に機内から見える自衛隊の基地を横目に、沖縄だなぁと心の中でつぶやいていた。

 2009年、大学生になったばかりの夏休に友人と訪れたのが沖縄だった。まだ旅行にも慣れていない未成年ながら、綺麗な海やソーキそばに心が躍ったことが懐かしかった。その後10年間、いろんな街を歩いてきた。旅行好きが興じて、一人でも出歩くようになり、昨年、ひととおり日本を回り終えた。次はどこへ行こうかと考えていたところ、ふと沖縄に行こうと思った。10年間で目に映る変化を感じたかったのだと思う。パソコンを起動しブラウザを開き、片道5,000円のピーチアビエーションを予約した。

 10年ぶりに目に映った那覇は、日本ではなくアジアだった。社会人になってから、年に1、2回アジアの都市を訪れていた。サラリーマンという忙しい身分の中で、3、4日もあればあまりお金もかけず気軽に行ける海外がアジアだった。バンコク台北、香港、ソウル、シンガポールハノイの都市を訪れてきた。何度も頻繁に訪れたわけではないが、細々とアジアの空気を感じてきた。那覇は30万人都市とはおもえないほど都会だ。現代的な高層ビルが立ち並んでいる。しかし、一歩路地に足を踏み入れるとそこは一気にアジアの雰囲気が漂っている。強い日差しや風雨、そして車からの排気ガスで風化した建物の佇まいや、土地の境界などあまり気にしていないであろう植栽やお店の看板、気怠そうにとぼとぼと歩く色黒のおじさんやおばさん、1月でも湿度の高い少しねっとりとした空気に、アジアの雰囲気を感じていた。

 その日、コザに行き、那覇へ帰ってきたあと、前から気になっていた場所へ向かった。ゆいレール安里駅南にある栄町市場である。下川裕司さんの著書が好きでよく読んでいる。その著書の中でたびたび登場するのがこの市場である。1955年に設立され、今でも昼間は市場として機能しているが、夜になると飲み屋街に変貌を遂げるという場所である。

 栄町市場の中は、人がすれ違うことがギリギリの細い通路の脇に、こじんまりとした飲み屋がひしめいていた。中には若者が好きそうな洒落たお店もある。ひととおり市場の中を歩き終えて、どの店に入ろうかと迷っていたところ、1軒の店が気になった。カウンター席が5、6席くらいと、市場の通路にはみ出して10席程度のパイプ椅子が置かれたその店では、地元の人であろうおじさんやおばさん達が、グラスを傾けながらバックヤードの壁に吊るされたテレビを眺めていた。店主であろう女性から、お兄さんそこ空いてるよと声を掛けられ、頼りないパイプ椅子に腰かけた。

 テキパキと働く女性店主から何にしましょうと尋ねられ、オリオン麦職人と伝えると、前金制といわれたので250円を支払った。店主は奥に戻り冷蔵庫からオリオン麦職人の缶を持ってきてくれた。缶ビールをグラスにも入れずにそのまま出すあたりが沖縄なんだろうなと感じながら、他の客と一緒にテレビを眺めていた。その日は大坂なおみの世界ランキング1位をかけた全豪オープンの決勝戦であったため、店はかなり盛り上がっていた。神奈川から来たというおじさんは、勝敗が怖くて見ることができないと言って、市場の中をふらふらしてはたまに戻ってきて酒を飲み、またふらふらとどこかに行くことを繰り返していた。自由な店だった。そして前金制の理由がよく分かった。

 そうしているうちに突然、ギターの音が聞こえてきた。音のする方向へ目を向けると、シックにまとめられた黒の衣装に身を包んだお兄さんが投げ銭ライブを行っていた。彼はギターとハーモニカを同時に操り、薄暗い市場という空間に心地のいい音を奏でていた。

 ワンクール終わると彼は缶ビールをもって客と一緒にテレビを眺めていた。話を聞くと関東の出身で、沖縄に来て20年ほど、たまにこの店で投げ銭ライブをしているらしい。ハーモニカとギターを同時に演奏する人は珍しいよと言っていた。大坂なおみも無事に勝利して、金粉入りの祝い酒が客に振る舞われた。もうワンクール彼の演奏を聴いて店を出た。

 

 平成最後の日、僕はまた那覇にいた。数日間八重山諸島を巡った後、那覇で2日間滞在し関西に帰る予定だった。4月下旬の沖縄は気温も30度近く、もうすっかり夏である。その夜、またあの店に行きたいと思い栄町市場に向かった。

 店の名前は知らなかったが、市場の中を歩き回っているとすぐに見つかった。そしてまた彼が投げ銭ライブをしていた。相変わらず頼りないパイプ椅子に腰かけ、250円の泡盛を頼んだ。テレビでは平成に関する特番が流れており、今日で平成も最後だねとしみじみとした会話を交わしながら泡盛を飲み進めていたところ、彼の演奏が始まった。常連のおばちゃんによると、彼は沖縄では結構有名な奏者で、県内のある程度大きなコンサートにも出演しているらしい。彼の演奏するclose to youに哀愁を感じながら、平成最後の夜を過ごしていた。

 演奏が終わると、また彼が常連から缶ビールをもらい客席に来た。話を聞いていると彼の名は山藤洋平さん、金・土はだいたいこの店で投げ銭ライブをしているらしい。色んなところで音楽活動をしているが、この場所は大切にしていると言っていた。

 この店と彼の演奏にすっかりファンになってしまったころ、そういえば店の名前を知らないと思い、あたりを見渡した。すると「火盗」と書かれた提灯の脇に「モラ・カフェ」と書かれていた。ここはカフェなんですが、そう山藤さんに問いかけたところ、こんな答えが返ってきた。

 

 「ここはパリのオープンカフェをイメージした店なんだよ。この市場では一番古い店だ。」

 

 一瞬言葉に詰まってしまった。これがパリのオープンカフェ?パリに行ったことがないので詳しくないが、パリのオープンカフェと言われて想像するのはシャンゼリゼ通りの脇に優雅に佇む店ではないのか。悪い意味ではないが、ここは古い市場の中にある小汚い飲み屋である。しかもコーヒーや紅茶はメニューには見当たらない。しかし、パリのオープンカフェをイメージしてこの店を作ってしまうウチナーンチュの感性も嫌いではない。そんなことを思いながら、「兄ちゃん、どっから来たの」という常連客との会話をつまみに、ゆっくりとグラスを傾けて飲む泡盛がただただ心地いいのであった。

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パリのオープンカフェをイメージした店内