記憶の記録

旅の記憶を記録しています。

2.米軍とともに戦争で栄えた街(沖縄・コザ)

f:id:ksmtt:20190715131115j:plain

アメリカの雰囲気が漂うパークアベニュー

f:id:ksmtt:20190715131226j:plain

夕暮れ時のコザ・ゲート通りを歩く欧米人家族

 沖縄県沖縄市にコザという地区がある。かつてはコザ市という名称で、当時は唯一の片仮名表記の市名であったらしい。嘉手納基地の南東、基地へと続くコザ・ゲート通りを中心に、ベトナム戦争とともに栄えた街である。この街を知ったのは仲村清司さんの文章だ。簡単に説明すると、ベトナム戦争が本格化する中、「Aサインバー」と呼ばれる米軍が認可し米兵が入店できる飲み屋が軒を連ね、明日死ぬかもしれない米兵が飲み明かしてありったけの金をばら撒き、戦争特需で栄えた街である。

 

 次に沖縄に行った時、必ず訪れようと思っていた。書籍やネットの情報から、どこか浮世離れしたこの街に惹きつけられていた。2019年1月、10年ぶりに那覇に降り立った後、那覇を素通りして早々に那覇バスターミナルからコザへ向かった。約1時間バスに揺られてコザに着き、昼間の街を歩いてみた。街にはAサインバーを中心にアメリカ文化を色濃く残す建物が立ち並び、米兵であろう欧米人がときおり歩いている。1、2時間もあればひととおり中心部を歩ける規模である。

 

 最盛期は本当ににぎやかな街だったらしい。コザフリークと言われる本土からの旅行者が、那覇を素通りしてコザで飲み明かし、そのまま本土へ帰ってしまうほどファンも多かったという。今ではそんな人が来ることはないだろうが、繁栄の残り香のようなものが街の至る所に感じられる。ゲート通りの東にあるパークアベニューは街路にヤシの木が生い茂り、横文字の店が軒を連ねるいかにもアメリカンな雰囲気であるが、多くの店はシャッターを閉ざし、今ではだいぶ廃れている。最盛期はにぎやかだったんだろうなと、当時の街を頭の中に思い浮かべた。

 

 この街では、今でも週末の夜になると基地で働く米兵が街へ繰り出してくるらしい。もしかしたら米兵と飲めるかもしれない。そんな期待を胸に、スポーツアンドミュージックバーと掲げられた飲み屋に入りオリオンを頼んだ。土曜の18時頃だというのに客は僕1人だった。広くアンティーク調の家具でまとめられた店内は洒落ていた。心地のよい空間でぼーっとテレビのモニターを眺めていたが、時間が経っても客は僕1人だった。喧騒が似合う店なのに残念だなと思いながら、1時間ほどして店を出た。街を歩き、アメリカの田舎町にありそうなバーに入った。この店は女性欧米人が店員として働いていた。壁には英語のメニューが並んでおり、料金にはドルの表記もある。この街ではドルで酒が飲めるのだ。今日本でドルが使える場所はそうそう無いのではと思う。この街はアメリカとともに時を重ねてきたのだなと改めて感じた。欧米人の店員によると、夜の10時頃になると外人さんが街へ繰り出してきて賑やかになるらしい。僕は那覇に宿を取っていたから、バスの時間の関係で、それまで滞在することは難しかった。これはまた来るしかないなと思い、2軒目の店を出た。

 

 バスの時間まで夜のコザを歩いてみようと思った。バーやライブハウスのネオンが灯り、昼間よりは賑やかな雰囲気を醸し出しているが、それほど人通りは多くない。最盛期はこの道も人で溢れかえっていたのだろうと考えると少し寂しくなってしまうが、栄枯盛衰は世の習いである。

 

 コザゲート通りでカメラをぶら下げて歩いていると、シャッターが閉まった店の前で胡座をかいて路上に座るおじさんに声を掛けられた。

 

「写真を写してるんですか」

 

「趣味ですけど」

 

 おじさんはギターを肩から掛けていた。ストリートミュージシャンだ。経歴を聞いてみた。昔はインディーズでCDまで出したらしいが、知人に金を騙し取られて沖縄に流れ着いたらしい。今は外人さん相手に細々と歌を歌っているという。沖縄に来てそれほど長くないようだが、ウチナーンチュは内地の人には冷ややかだと言っていた。僕の感覚ではよそ者もすんなりと輪に入れてくれるのがウチナーンチュだと思っていたのだが、住んでみないとわからない事でもあるのだろうか、はたまた沖縄で何か嫌なことがあったのだろうか。あまり深入りしないことにした。

 

 良かったらまた歌も聞いてくださいと言うので、1曲歌ってくださいよとリクエストした。長渕剛でもいいですかというおじさんに、はいと答えた。

 

 静かなコザの街にギターの音が鳴り響いた。おじさんの歌声は見た目から想像できないほど太く力強かった。見た目はただのおじさんだが、紛れもなくミュージシャンだった。何の曲かは忘れてしまったが、その力強い声に鳥肌がたったことは覚えている。おじさんに拍手を送り、銭を投げ、頑張ってくださいと言い残し後をたった。コザは音楽の街らしい。行き場をなくしたおじさんはコザでもう一度自分の音楽を探しているのだろうか。

 

 また戦争でも起きない限り、この街はかつての繁栄を取り戻すことはないだろう。それでも、またコザに来たいと思った。珍しいものに人の心が惹きつけられるように、基地と戦争という日本では特異な経緯で栄えたこの街には、他では感じることのできない魅力があるようである。

 

f:id:ksmtt:20190715131954j:plain f:id:ksmtt:20190715132115j:plain

欧米人が働くバー、遅い時間には外人で賑わうらしい。

 

f:id:ksmtt:20190715132315j:plain

コザのストリートミュージシャン